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指導者を志してオランダに渡航。3部でプレーを続けながらプロサッカー指導者への道を切り開いた林雅人さんインタビュー

2018/02/19

プロサッカー選手として海外でプレーするー。多くの若者がそれを夢見て、実際に海を渡っていくが、中には同じような志を持ってトライをする指導者も多く存在する。しかし、プロの世界は厳しく、多くが夢を諦め帰国の途につき、ステップアップを成功させるような例は稀だ。

海外で日本人が成功するにはどういったことが必要なのか・・・。そのひとつのテーマのもと、今回お話をお伺いしたのは林雅人さん。大学卒業時にオランダへ渡航し、選手としてはオランダ3部等でプレー…と同時に研修生としてコーチキャリアも培い、今や世界で活躍する指導者となった林さん。その言葉は、海外志向の若者にとってはあまりにも刺激だ。(記事:滝野泰広)

 

林雅人(はやし・まさと)1977年生まれ 東京都出身のプロサッカー指導者。日本体育大学卒業後に単身オランダへ渡り計8年間の留学を行い、研修を経てフィテッセでは5年の間、プロとして多くの選手を指導した。その後、日本でゼリコ・ペトロヴィッチ元監督の通訳として浦和レッズに在籍し、タイリーグや中国2部の浙江省杭州女子足球倶楽部では監督としてトップチームの指揮を執っている。

 

 

オランダでプレーしながら指導の勉強ができるのは魅力的だった

プロなろ:まず、林さんはどうして海外に行こうと思ったのでしょうか。そのあたりをお聞かせください。

林:そうですね、たどれば大学時代まで遡ります。私が、日本体育大学のサッカー部でプレーしていた時に、プロの外国人監督を初めて大学が雇いました。それがオランダ人のアーリー・スカンスさん(日体大で指導後、大分トリニータのコーチ等を務める)という方で、自分のキャリアにおいて初めてプロフェッショナルな監督のもとでプレーすることになり、アーリーさんが来てから日体大の練習は大きく変わっていったんですね。

それまで練習場にあるスタンドは、立つところでも座る場所でもなく、「走る場所」となっていたんです。階段や傾斜などがあったので、そこで走り込みのトレーニングを頻繁に行っていました。
でもアーリーさんが来てから「サッカーはボールを使う競技だ」ということで、スタンドは本来の観戦場所になり、走る練習自体もほとんどなくなって、反対にボールを使う練習がとても多くなったんですね。

その違いを選手として直に感じたのですが、とはいえ選手もまだ続けたかったので、卒業後の進路を考える頃は「そのまま選手をやりつつ指導の勉強をするのはどうやったら出来るだろう」と考えていました。それで思い切ってアーリーさんに相談したところ「オランダに行きなさい」と言って頂いて、「じゃあ行っちゃおう」と(笑)

 

プロなろ:即決だったんですね。迷ったりはしなかったのでしょうか。

林:今もそうですが、オランダは日本よりサッカーが強いということは重々理解していましたし、そこでプレーもできて指導の勉強もできるというのはとても魅力的でした。日本とオランダのどちらで学ぶか天秤にかけた時に、オランダに行けるんだったら行こうと素直に思いましたね。
と同時期に、アーリーさんがいるという縁もあり、日体大が毎年春にオランダへ遠征をやっていたのですが、それで1学年下の遠征に便乗して、勢いそのままに初めてオランダに渡りました。

プロなろ:海外に行くのに成功するかどうか頭で細かく考えていたら飛び立てないってことですよね、行くしかないだろうと。

林:そうですね。先のことを考えてたら多分行けない。
私がオランダに8年間いたということもあって、オランダに行きたいと考えている若い方が連絡してくることもあるのですが、やっぱり将来のことを考えすぎるあまり、結局行けなくなってしまう方は多いですね。行った私からしたら、行っちゃった方が早いなと感じています。

 

プロなろ:行って自分の可能性を確かめて、そこから考えるのも一つの方法ですよね。

林:はい、大体皆さんが考えることは月の生活費、住む場所だと思うんですが、これを日本の基準で求めすぎてしまってると思います。そうするとやはりお金はかなりかかる、当然ですよね。

私がオランダに行った時は、最初はキャンプ場のバンガローに住んでいました。家賃月3000円くらい(笑)木の小屋には暖炉が一つしかなく、もちろん自分で薪を用意していましたが、それでも寒くて冬はダウンジャケットを着てから布団をかぶって寝ていたくらいです。でも、そういうところに住んだ経験があるから、今はもうなんとでもなるっていう自信があります。

ただ、オランダに行った当初は両親からの仕送りも頂いていました。それで生活できていた部分もあるので、両親には非常に感謝しています。この場を借りて「ありがとう」と両親に伝えたいです。

 

プロなろ:当初ということは、現地でお仕事などもされていたのですか?

林:学生ビザでオランダには渡ったのですが、アーリーさんの紹介で朝6時からパン屋さんで働いていました。

働いてたとは言っても、アルバイト代くらいしか貰っていなかったですし、給料は手渡しです。
直接手渡しも労働ビザがないのも厳密にいうとダメなんだろうけど、時代も時代だし、大丈夫ってことにしてました(笑)

 

海外で何かを勉強したいなら、やはりその国の言葉を喋るというのが一番いいと思う

 

プロなろ:凄いお話ですね。選手としてのプレーはどこまで続けたのですか?

林:22歳から32歳までやりました。上から数えるとオランダ3部4部くらいのアマチュアですが、給料もしっかり頂いていましたよ。
アマチュアでもお金が貰えたのは、オランダはプロでもアマチュアでもクラブの組織がしっかりしていることと、何より街全体サッカーが好きで、街の人は地元のクラブを応援し、街自体がスポンサーになっているということが要因かと思います。

 

プロなろ:そうなんですね。指導者の勉強は選手としてプレーしながらということになるのでしょうか

林:そうですね。まず2年間はオランダ語を必死に勉強しました。朝6時からお昼までひたすらパンを焼いて、それからすぐにユトレヒトの大学に行き、夕方17時くらいまで語学の勉強をしてましたね。

大学が終わると、そこからまたすぐ自分の所属するクラブのトレーニングに行くという生活で、これを2年間ずっと続けていました。今聞けば充実しているようですが、当時はかなり大変に感じていましたよ。

語学の勉強は相当しました。オランダ語を喋れないとオランダでは指導もできないし、サッカーの勉強もできない。英語は通じますが、子供達はもちろん英語はほとんど話せませんからね。

ライセンスを取る際も、講義は全てオランダ語になりますし、とにかく指導する前にまずオランダ語は必要になりました。

ただ、海外で何かを勉強したいなら、やはりその国の言葉を喋るというのが一番いいと思いますよ。
それで言葉をある程度マスターするのには2年かかりましたが、幸いな事にサッカーでお金が貰えていたので、なんとか生活できていました。それはとても良かったと思います。

 

プロなろ:凄く苦労されてたんですね。海外で生活する際にビザで苦労する人は多いのですが、学校に通われていたということは、ずっと学生ビザで滞在されていたのですか?

そうですね。ユトレヒトの大学に限らず、オランダの各大学には、海外から来て勉強したい人のためのコースがあって、そのコースを取ればビザが取得できます。そのコースもアーリーさんやお世話になった方々が探してくれてビザを取ることができました。

そうやって勉強しながら、オランダ語が第二母国語として認められる国家試験をクリアし、やっと指導者にシフトしていきました。ただ、その試験はもちろん国家試験なのでとても難しく、4回も不合格になってからやっと取ることができたんですよ。

この国家資格を持っていれば、現地でどんな仕事でもできるようになるんです。「オランダ語喋れるの?」と聞かれる所でもその資格を見せれば全てパスできます。

それで、ようやく指導者のC級ライセンスを取るための勉強開始です。オランダサッカー協会に行き、アカデミーライセンスに関わる偉い方と話をさせてくれと直談判しに行きました。

通して頂いた方はとても暖かく熱い方だったので、オランダ語で話をしていると「君はどうしてそんなにオランダ語話せるの!?」と驚かれて、それだけオランダ語を話せて勉強したいなら断る理由はないと言って頂き、研修からスタートすることになりました。

そして名門フィテッセへー。

 

プロなろ:言葉を覚えるのは本当に武器になるのだなと実感します。研修先はオランダのどこかのクラブだったのでしょうか?

林:はい。「できればプロのチームでお願いしたい」と常々伝えていたところ、元々住んでいた場所に近いユトレヒトか、もしくはフィテッセの、2つの話が出てきました。
どちらがいいんだろうかと、お世話になっていた方にも相談したところ、全国優勝していたり、全カテゴリーがトップリーグに所属していて育成に定評がある、フィテッセが良いのでは?ということでした。それでフィテッセへ研修に行くことを選びました。
オランダのライセンス制度には、チームでの研修が必ずついているので、どのクラブのどのカテゴリーにも1人は必ず研修生がいますから、受け入れも当たり前という状況でしたね。なので入れてもらう分には大きな問題はなかったです。

 

プロなろ:育成大国オランダらしいシステムですね。最初はどちらのカテゴリーを指導されたのですか?まずはキッズから順番にという形ですかね。

林:なんと、その時たまたま空いていたのがU-19で、いきなりユース年代からの研修スタートとなりました。そこで1年間は研修生としてやっていたのですが、2年目からは正式にコーチとしてフィテッセと契約してもらい、念願の指導者として仕事ができるようになりました。

それでパン屋さんの仕事は辞めたので、空いた時間でライセンスを取るための勉強も同時進行で進められるようになりましたね。

 

プロなろ:そこでコーチとして契約が取れたいうことはとても凄いですよね。アジア人として、オランダ人にコーチをする上では大きなハンデがあったと思いますが、何か契約を掴むためのポイントはあったのでしょうか?

林:やっぱりそこは日本人の「勤勉さ」でしょうか。あとは自分は凄くサッカーが好きだったことや、外国人というところも逆にポイントが高かったのかなと思いますね。

外国人というのはハンデと捉えられがちですが、こんなにオランダ語ができる日本人がいるのか!と研修の時も驚かれて、加えて一生懸命サッカーの勉強もしているということで、周りから感心してもらったこともあると思います。

ただ、やはりどこの世界でも「タイミング」というのがあると思いますね。
その時、フィテッセにはトップからU-12までのカテゴリーしかなかったのですが、その下にU-7からU-11までのカテゴリーを作ることになって、2004年からフィテッセ内にチームが増えたんです。それでその枠にポンッとはまることができました。

私以外にも研修生はいましたが、まだほとんどが学生だったことや、雇うなら外部より内部の人間の方が良いだろうということなど、さまざまな「タイミング」がはまって契約になったのだと思います。

 

<後編に続く>

 

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