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元U-20日本代表、流浪のストライカーが進む自分だけの道。小澤竜己インタビュー(元FC東京・鳥取等)第2章

2018/02/20

中学を卒業したばかりの15歳が高校に入学し、高校サッカーのレベルの違いに愕然とする。そんな話はよくあることだ。

しかし小澤竜己が高校に入学し最初に受け取ったユニフォームの背番号は10番だった。それも全国クラスの名門、青森山田高校での話だ。1年生が名門の10番を背負う。どう考えても上級生からの反発もあったはずだ。それでも小澤はゴールを取り続けることで周囲を納得させて来た。そしてプロになってからもゴールを取り続けることで自分の道を切り開いて来た。

J1、JFL、そして海外。タイでの海外リーグ初挑戦を不本意な形で終えた小澤は、次なる挑戦の地ヨーロッパへと向かった。。<記事提供:EAT  SLEEP TABI FOOTBALL>

 

小澤竜己(こざわ・りゅうき)1988年生まれ、名古屋出身。名古屋FCから青森山田高校に進学。1年時からエースとして活躍し、3年時にはキャプテンとしてインターハイ優勝に貢献。卒業後はFC東京に入団。その後JFLのガイナーレ鳥取、ブラウブリッツ秋田、そしてタイ、ラトビア、インド、タイと各国のチームを渡り歩く。前編はこちら⇛⇛元U-20日本代表、流浪のストライカーが進む自分だけの道。小澤竜己インタビュー

 ヨーロッパへ行かなければ分からないことがたくさんあった

Q:タイで怪我をして帰国。その後は?
小澤:日本での治療後には状態もだいぶ良くなって、それでまたラトビアに向かうことにしたんだ。一度トライアウトに行っていたということもあってすぐに契約できるという話になってね。
代理人と話し合ってヨーロッパの1部でプレーすれば経歴的にも良いからと。それでシーズン最後の数ヶ月はラトビア1部のグルベネというクラブでプレーさせてもらうことになったんだ。

 

Q:ヨーロッパでの経験について教えてください

小澤:色々な国のクラブに営業をかけたよ。その中で色々気づくこともあったね。

経歴はやっぱり大事。年齢も若くて代表歴があってJ1所属とかだったらクラブ側の反応も変わっていたんじゃないかな。自分はJFLで4年もプレーしていたし、ヨーロッパの中ではすでに若い年齢でもなかったからね。

日本だとあまり意識する事もないけど、海外ではそれだけでチームが決まることもあるし、大事な要素の一つだよね。

自分のプレー映像もそれまで持っていなかったんだけど、映像がなければ売り込みさえ出来ない場合もある。プレー以前にそういう海外サッカーの常識みたいものも知ることができたよ。

 

若い選手がヨーロッパでプレーする意義は大きい

Q:自分でクラブに売り込んで行くんですね
小澤:そうするしかないからね。でもなかなかチームが決まらなくて、早くプレーしたいという気持ちもあってポーランド4部のクラブに決めたんだ。

ポーランドは当時外国人枠がなかったし、プレー次第で上位リーグにステップアップができる可能性もあるという話を聞いたんだ。だからまずはチャレンジしてみようということになった。結局そのチームでは2年半、もう一つ移籍した先のチームで半年間プレーすることになったよ。

 

Q:ポーランドでの生活はどうでしたか?
小澤:ポーランドでは安月給ではあったんだけど一番幸せを感じていた時間だったと思う。私生活でもサッカーでも。

あの頃は一番楽しみながらプレーしていたと思うし、勉強もたくさんしたし、普段の生活でもいつも笑顔でいられたんだ。ポーランドの永住権はどうやったら取れるんだろうって今でも考えているよ。

Q:そんなにも良い国だったんですか?
小澤:彼らはミニゲームするにしても勝ち負けにこだわって必死なんだ。くだらないことでも本気になって怒ったり喜んだり、自分の感情に正直なのかな。嫌いなものは嫌い、好きなものは好きだと伝える。その感覚が自分には凄く合っていたのかもしれない。思っていることを伝えたことで仲がこじれるような関係ではなくて、しっかりとした信頼関係をみんな築いているんだ。

練習で喧嘩しても終われば何もなかったかのように友達になれる。向こうではそれだけ本気でやってるということが大事なことで、それで意見がぶつかることは仕方ないよねという感覚が皆にあるようだった。

そういうのは日本でも東南アジアでもなかなかないよね。その中で自分は凄く楽しく毎日を過ごすことができたんだ。

Q:サッカーでの違いは感じましたか?
小澤:ポーランドでやっている時に自分でプレー動画の編集を初めたんだけど、その時に思ったんだよ。

ミスした時の映像は切り捨てちゃえば良いんだから、ミスなんて気にしないで自分の良いところをもっと出すべきなんだって。

ポーランドの選手たちはミスしてもそれを引きずったりしないし、自分の特徴を出すということを凄く大事にしている。だからチャレンジしたもん勝ちだなって。安全なプレーを選ぶのではなく、リスクを負ったプレーをしなきゃいけないなと感じたよ。

Q:その後、なぜポーランドからインドに移籍したのですか?
小澤:2年目の途中からかな、外国人に対するルールが変更になったんだ。それでちょうどその頃、秋田時代にチームメイトだった松ケ枝泰介くんという先輩から連絡があったんだよ。彼が当時所属していたインドのチームからオファーという形で話を持ってきてくれてね。本当はポーランドで永住権を取りたいと思っていたから5年間はポーランドいたかったんだけどね、やっぱりインドでの給料は当時の自分には魅力的だった。

 

この記事の続きが読みたい方はこちらからどうぞ⇛⇛⇛元U-20日本代表、流浪のストライカーが進む自分だけの道 第2章 –  http://eat-sleep-tabi-football.com/2018/02/19/kozawa-football/⇐⇐⇐

 

 

 

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